日本の(地理的)中心でICTに愛を叫ぶブログ

岐阜県の公立高校でICTを使った英語の授業をしている者です。ただどんどん関東エリアや、日本各地の私学の先進的な事例を聞くと「このままで大丈夫か?」と焦りを感じながらゲリラ的にやれることからコツコツとICTを活用した授業を展開しており、その一端をご紹介している次第です。

工藤勇一先生(東京都千代田区麹町中学校校長)の話を聞きに行ってきましたよ、の巻

自分の振り返り、そしてシェアも兼ねて昨日

愛知県西尾市一色町で行われた工藤勇一先生の

講演を聞きに行ってきました。

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はい、最前列かぶりつきでした。雑感なので、工藤先生の

言葉とは切り離して考えてください。(僕はレコーダー

じゃないので、

 

話聞いて自分が思ったことを書いてるだけ

 

です。副産物から現物を想像する形になるかもしれませんが

ご容赦を・・・)

 

 

「社会でよりよく生きていくってどういうことなのだろう」

ということをわれわれ教員が議論する必要がありそうです。

そして議論する相手はその学校組織を作る教員でもある

だろうし「ステークホルダー」である保護者であるだろうし、

それを取り囲む地域・自治体でもあると思う。

 

今回の話を聞いてて思うのは、学校という組織は本当に

「対話、コミュニケーション、言語活動の重要性」を認識して

いるかどうか?ということでした。

 

西川純先生の著作を引くまでもなく、日本の高度成長期を

支えてきた、人口増、消費拡大、バブル景気。それを

支えてきたトップダウン型、単一民族同調圧力

それによるスピード感が崩壊し、世界はますます多様化し

部分最適化を求めている昨今、日本だけが過去の成功モデルに

固執しているように思えてなりません。そこには

 

「確実性」だったり「結果の平等生」を担保することを

求めている国民のある種「甘え」を感じさせるわけです。

ま、それが「世界一成功した社会主義国」の日本の良さ

でもあったわけですが、それを支えていた人口増が

減になったわけですから「パーティータイム終了」でしょうか。

 

ま、なにはともあれ、ちょっと厳しめな現状認識ですが、

おおむねそういう将来が予測されてますので、

目の前の生徒が社会に出て生きていくのに困らないようにする

にはどうしたらいいのか、考える必要はあると思います。

 

昔「社会常識とは過去30年経験則から成り立つ」と言われる

んですが、僕はバブル前後、失われた20年、リーマンと

その後を経験してるので「何が本当かわからない世代」

かもしれません。でも確実に「過去の成功則は疑ってる」世代

だとは思います。ただ疑いは仮想敵を生むというのも

今日のお話であったことかもしれません。だからこそ僕ら世代

にも

「対話、コミュニケーション、言語活動」を前向きに行って

いく必要性はありそうです。

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驚くほど、多様な放課後活動ですが、運営スタッフにそうとう外部スイタッフが入っていて、そのコストを企業のCSR(企業の社会的責任)

活動の一環として負担してもらったり、生徒負担にしたり、または

ボランティアにしたりと「多様な方策」を取られてるようですが、

社会につながる、つなぐ、社会を見せる、イケてる大人を見せる

という意味では企画立案は一貫してるように感じました。

 

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固定担任制廃止については僕の教員観を揺さぶられる話でした。

これは本を読んでいたときから「これってどうなんだろうなぁ」

と思っていたのです。自分の教員経験13年、常勤講師5年で

担任を持ったのは前任校の4年と今の学校での4年間。基本的に

持ち上がりを経験してきているので、その「醍醐味」を知ってる

わけです。工藤校長先生が指摘するように

「何かあったら担任が矢面に立つ」

「他のクラスとの比較で、劣っていれば担任の能力・

マネージメント力の差を比較される」

前任校は就職する生徒が半分、今の学校では8〜9割ですから

就職斡旋ノウハウがあるかないかで生徒の教員を見る目が

変わってしまうとすると、そういう知識や技能の差も

担任の力量比較で引き合いに出されるわけです。ま、進学校でも

企業選定や校内選考をどう勝ち抜くかを、

志望校選定や各種模試・検定をどう勝ち抜くか知っているか、

で差がつくという話だと思います。

(だから今更力量の差がある進学校に「わざわざ」いく気に

なれなかったのですが、、、レッドオーシャンに突入!って

かっこよくもなんともないので・・・)

 

ま、それでもこの15年近く、担任業こそが教員としての

喜び、リターンを得る場だと認識してきた部分があるわけ

ですが進路指導部長として担任を4年離れて俯瞰してみると、

「個々の教員の能力に差が出て不幸になるのが生徒じゃ、

だめだよねぇ・・・それをここの教員のせいにする仕組みも

ダメダメだよねぇ・・・」ということで。

そういう意味で、クラス担任廃止は即効性があるかも

しれないな、と思いました。そこに踏み切るにも、

校長のリーダーシップ(リーダーシップって強引さというより

周りを説得する力、対話力何だろうなって思ったんですが。)

って大事だと思いました。

私服期間を設け、制服指導の観点も保護者におまかせしたそうです。

 

学校の教育に保護者をどう巻き込むのか、自分も気になってる

ことです。うちの学校の4月の保護者総会の出席率は130名

生徒いても2、30人。ほぼ1年生の親で4年生が就職のことを

担任と相談しておきたいとくるぐらいです。1年生の親は何も

知らずにくるわけですが、来て「あ、これは保護者会の役員を

承認するための儀礼的なもので来なくても委任状でいいんだ」って

わかるから2、3年の親は来ない。4年は上記の理由でちらほら

来てもらう感じです。しかも役員会にこれば保護者会の役を

頼まれるわけですからいやが応にも足は遠のく。

 

こんなあり方に僕は疑問をずっと抱いていたので来年の保護者

総会ではマネープランの講座を入れるとか「来て得する」会に

することを提案してます。だけど、根本的には「教員のやる

ことを承認するだけの保護者会」というあり方自体が「どうなの」

と思うのでそこにメスを入れないと根本的な解決にはなって

ないな、とも思うので心に刺さった部分でした。

 

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この辺りから学びのスタイルの話に。

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ここまで書いたことともう被ってるのでここでは書きませんが

(もう2,300字超えてるし)

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つまり、

「社会に出て行って困らない力をつけ」

「これから出て行く社会はまんざらでもない」ということと、

「社会で生きてる生き生きとした大人を見せる」ことで、

そこに必要とされる力を自分から吸収する子どもをそだてる

ってことかな、と思いました。

 

多分、Stay hungryにしないと吸収しないんですよ、生徒も。

あれもこれもやりすぎ。でも飽和状態になってる生徒をいきなり

断食したら、食物なら枯れてしまう。徐々に、工藤校長も5年

かかって今の体制に持ってきてるというのはそういう時間が必要

ということだろうと思う。

 

あれ?なんで5年もいられるんですか?っておもったんだけど、

聞きそびれちゃいましたけど、多分意図的に、そして教育委員会

の理解を得ながらやってるんだろうなと推察できますが。

「やってやれないことはない」といってたのはそういうことでしょう。

 

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資料は次の回に回しますが(もう買い物行かなきゃ)

とりあえず僕が感じた雑感は以上です。

最後まで読んだ、忍耐強いあなたはすごいなって思います。

僕はこれ、多分読み返すことあるかな・・・多分、迷った

時は読み返すと思います。

 

さっき、工藤先生にこんな言葉をいただきました。

 

「経験を通してしか身につかない力こそ、

私たちが生徒たちに言語化して片付けるべきこと」

 

そう、徒弟制の時代はおわって、ノウハウという情報が権威の

源泉として存在する時代は終わったことを時として僕でさえ

わすれ、権威に酔い、自分は頑張ってきた・権威に酔うことを

許された存在だと勘違いすることがあります。

 

ですけど、それはただの勘違い、錯覚、幻覚、幻想、そういう

類のもの。ただただ、自分の経験を一般化・法則化し、誰でも

実行できる再現性の高いものにして次の世代に引き継ぐ、

それが僕ら教員にも求められてる力なんだと再認識、いや違うな、

新たな発見であり自己批判であり、再発見できたと思います。

 

長くなりましたが何かの参考になればと思います。